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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

知っている

『妖怪へぇこいたの手記』

さて最近よく脳みそがオーバーヒートして美味しく焦げちゃうことが多く、原点回帰釈迦に聞け――つうことで時間を見つけては坐禅を組んでおります。

問題事の多くは結局は自分の考え方だとか感情だとかに起因している場合が多いようで、また問題事の多くはとてもショボイ、あるいは凄く単純な事であることがほとんど(僕の場合)。

特に坐禅を組み、冷静に一つ一つの余分なモノを削ぎ落していった時、中心に残る問題の本質というのは実につまらない――というよりは、そんなこと知っているよ、というようなことなのです。

これは多分恋愛相談とかでよく聞く話と同じで、「それは自分が一番知ってるんじゃない?」と親友なんかが助言してくれる一つのパターンがありますが、まさにそれだと思うのです。相談するのは自分の意見を代弁して欲しいから。肯定してほしいから。あるいは違う真相を作って欲しいから。

 

ではなぜ「知っている」事を知らないかのように振る舞ったり、問題は別にあるように思い込んでしまうのか。

それは、「知っている」事が自分にとって都合の悪い事、あるいは「そうであると自分の価値が下がっちゃう事」だからだという事を僕は坐禅で見極めました。

まさに臭い物にはフタをする――ってやつを、僕と言うずる賢い人間は自然に無意識でやっているんじゃないかと、そう思ったわけです。

本当は知っている。

本当は解っている。

 

今回僕がこそぎ落とした雑念の中から掬い上げた一つの真実は、衝撃的で、とてもマズくて、最悪でした。けれども、間違いなく、最初から僕は解っていることだったのです。

 

じゃあどうすんの? って回り道をせずに考えられるので、そういう意味ではこうして「知っていた事を知っていたと確認する」のは良い事でしょう。

しかし、「知っていた事を知らなかったと思い込んで」事を進めた方が時としてうまくいくのかも知れません。

難しいものです。

 

人生のほとんどは靄に包まれているようなものでしょう。

自分の気持ち次第で、様々な幻想のフィルターをかけて、その中で生きて行く。

それらを取っ払って生きて行くことは、もう難しいのかも知れません。

でも本当に窮地に陥った時、根底にあるものだけを見るよう心がけると、自分というものを少しだけ改めて確認できます。

ヤケになる前に一回だけ考える。

多分答えは、ずっと前から、知っているのです。