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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

物の怪(もののけ)の謎

物の怪(もののけ)

お化けや妖怪その他もろもろを、「もののけ」とも言う。

それは知っているだろうが、なぜ「物」なのか、考えたことはあるだろうか?

全てのお化けや妖怪が「物」によって起きる現象ではないし、付喪神でもない。

昔は付喪神しかいなかった……なんて話でもない。

――というわけで物の怪の話。

※色々間違った考えもある可能性高。

 

平安時代頃には、「鬼」は「もの」だった、とどこかで書いたと思う。

「もの」は、神や霊等と並ぶほどの言葉で、時代時代によって意味は変わるが大体は神と似た、あるいはその正反対の言葉として使われていたらしい。

で、「け」は、病気の事を指していた。

『枕草子』には、「胸のけ」「足のけ」と並んで「もののけ」が書かれており、つまりこれは「もの」によって引き起こされる病気、というほどの意味だと思う。

ちょっとその時代には理解できないような不可解な病気を「もののけ」呼んでいたのではなかろうか。

 

そういったよくわからん現象が「もの」であり、それは次第に恐怖の対象となり「鬼」となる――というところまではなんとなく解る。

しかし。

「もの」が「物」になるのがよくわからんのだ。

今で言う「物」は、あらゆる「物」である。

自然に使っているので考えた事などなかったが、「物」という言葉はそれ一つで知覚でき見ることのできる森羅万象を指す、なかなか凄い言葉だと気付く。

どうやら日本が八百万の神を祭り、万物に霊性を感ずる特性というのが「物」という言葉にこそ現れているようなのだ。

「物」という言葉には、ただ単に物体を指す意味の他にも霊的なニュアンスが多く含まれている。

例えば、「物々しい」という言葉には、ただの物体としての「物」ではない霊的な要素が入っている。「ものもらい」なんかも多分そうなんじゃないか。

割と普通に使っているが、古くからの「物」を現代でも自然に捉えていることになる。

 

さてここで話を戻して、鬼と物の話。

結論から言えば、鬼が物となったのは、平安の前の奈良、さらにその前の飛鳥時代の、物部氏にヒントがあるんじゃないかと思う。

日本神話でも、大和を元から治めていたのはニギハヤヒ(物部氏の祖神)であり、それを神武天皇に譲り新生大和王朝が出来る。

つまり元はヤマトは物部氏の国。

また、神話には「大物主神(おおものぬしのかみ)」という神様も出てくる。これなんか思いっきり「物」である。大物である。

とにかく、物部氏というのは権力者であり、また天皇家とも肩を並べる氏だったということがわかる。

王朝内では、手広く様々な役目をこなしたと言うし、特に軍事だとか呪術関係での力が強かったらしい。この辺りはそもそも名前に「もの」が入っている時点でお察しである。

物部氏については、キリが無い程面白いので、是非一度色々調べてみて欲しい。

どの伝承も、どの説も、ロマンたっぷりで物々しい。

 

で。

まとめると、恐らくその辺りの時代では、神も、鬼も、物も、同じような畏怖すべき存在であったんじゃないかという事が言える。

特に神話における神と物との関係は、時に争い、時に譲り合い、時に共存し、時に神イコール物となる、切っても切れない関係である。

つまり、「物の怪」とは、「神の怪」でもあり「鬼の怪」でもあるという事が言えるのである。

確かに、そんなに違いはないような気がする。

そしてそれらの言葉は、「妖怪」と同じように、「物(よくわからん霊的な何か)の怪(よくわからん怪しいこと)」と、同じ意味の言葉が繋げられているということも解る。神と怪も、鬼と怪も、やはり大雑把なニュアンスは同じなのである。もちろん、妖と怪も、である。

ただ一つ違和感を感じていたのは、「物」に対する知識の少なさ故のことだろう。

物こそジャパニーズ。物こそ大和魂。普段使っている「物」という言葉も、そこに日本人らしい考え方が宿っていると考えるとちょっと面白い。

神は鬼ほどに物を言うのである。