読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

鮭の大助! 今登るッ!

鮭の大助(さけのおおすけ)

 

以前妖怪うぃきの方で書いた創作譚で登場させたのだが、僕はこの鮭の大助が好きである。

東北地方に多く伝わるこの妖怪は、寒い時期の特定の日に眷属を連れて川を登ると言われており、その特定の日は忌み日として漁が禁止されるのだという。

それを破って漁をした者には不幸が訪れたり、死んでしまったりする。

そして僕がこの妖怪が好きな一番のポイントは、出現の際にこう叫ぶことである。

「鮭の大助、今登る」

これを聞いてしまうと上記のような不幸に遭うのだ。

その声を聞かないように、村人達は酒を飲んでわざと大きな声で騒いだり、カネを叩いたりして過ごすのだとか。

鮭の大助、今登る。なんだか渋いではないか。一体それがどのような声なのか、ぜひ一度は聞いてみたいと思うのだが、死んでしまう可能性大なのでもっと老いてから東北で大助探ししてみたいと思う。

 

と。鮭の大助についていろいろ調べていたら、過去に僕が妖怪うぃきの方で書いた話がヒットしたので、折角なので再掲しておく。

 

鮭の大助今のぼる

 

昔から、私の育った田舎には不思議な慣習がありました。それは、大体毎年、11月の半ばぐらいに回ってくる回覧板によって知らされます。

「鮭の大助来る」

いつもこのような内容でした。すると、村の人たちはその日に備えて準備を始めます。カラオケ設備を広場に作り、大量のお酒やおつまみを村の商店を回って集め、地域で活動しているバンドを呼び集めます。

幼かった私は、それが一種のお祭りのようなものだと思っていました。11月になるといつも母に、「オオスケさんまだ来ないの?」と尋ねていた記憶があります。

そしてオオスケが来ると予想された日の前後二日間、毎日人々はお祭り騒ぎになります。朝から晩まで、24時間、飲み、食い、歌い、踊るのです。幼かった私にとっては本当に大好きなイベントでした。ただ、本当に悲しい出来事が起きたのもそのイベント期間のことでした。

私の親友と呼べる、一番仲の良かった男の子が怪死したのです。死因が心臓が破裂した、という普通では有り得ないものでした。当然、当時の私には全く理解できませんでした。その時、なぜその男の子が死んでしまったのか、誰も詳しくは教えてくれませんでした。ただハッキリと覚えているのは、その男の子に大人達が何度も何度も、「聞いたのか? 聞いたのか?」と質問していたことです。男の子のキョトンとした表情もよく覚えています。

 

そして、大きくなった私はその事件と、あのイベントと、オオスケさんの真相を聞き、驚きました。

私の住んでいた実家は、近くに大きな川がありました。一応、伏せておきますが、とても有名な一級河川です。その川では、古くから決まったしきたりがあったそうです。それこそ、「鮭の大助」の川のぼりでした。

鮭の大助は、鮭の王様で、かつ妖怪だと聞きました。妖怪と言われてピンとは来ませんでしたが、古くからあるあのイベントも、実際に大助のせいで死者が出たから行われているのだそうです。

一体どういうことなのか? なぜあのイベントは、死者が出るような不吉な鮭を、祝うかのように騒ぐのか? 私にはいまいち理解できませんでした。しかし、詳細を聞くにつれ、全てが繋がっていきました。

鮭の大助は、銀色で光り輝く美しい鮭だそうです。そして、大助は川のぼりを始める際、とても恐ろしく、大きな声でこう叫ぶのだそうです。

「鮭の大助、今のぼる」

と。それを聞いてしまった者は、息ができなくなり、死んでしまうのだとか。

お祭り騒ぎのあのイベントの真の目的は、鮭の大助の声を聞かないため、だそうです。故にみな、酒を飲んでは騒ぎまくっていたわけです。楽しいからではなく、大助の声を聞かないようにするために。

そんなバカな話……と思った私ですが、死んでしまったあの男の子の事を思い出し、ぞっとしました。

大人達が必死になって男の子に「聞いたのか?」と質問していた理由、それがまさに、だったからです。そしてあの男の子の「心臓破裂」という死因。

私にその話をしてくれた人物は、教えてくれました。

「あの日、〇〇〇ちゃん(男の子の名前です)は川に行っちまったんだよ。好奇心だけは人一倍強い子だったろう? それに、あの子の父親は漁で生計立ててたようなモンだったから、きっとあの日も父親が川にいるとでも思っちゃったんだろうねぇ。そして、聞いちまった。ひくぅぅい声だった、ってあんとき言ってたっけ」

 

鮭の大助の川のぼり。

これは今でも続いている行事です。その話を聞いて以来、私は実家へは戻っていません。今年ももうすぐ、その日が来ると母が言っていました。