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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

オシラサマとオクナイサマを巡る

オシラサマ・オクナイサマ

『遠野物語』が大好きだという方にとっては馴染みの深い妖怪(というよりは神だけど)だと思う。

東北地方で信仰されている神であり、家の神だとか、養蚕の神、馬の神だとかと言われる。

 

桑の木を彫った人型のものを信仰の対象として祀るのだが、ほとんどの場合男女などの組み合わせで二体並んで祀られる。(その二体がオシラサマ、オクナイサマ、というわけではないことに注意)

 

『遠野物語』から引用してみると、十四の項にまずオクナイサマの事が書かれている。

部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を祀る。その家をば大同という。この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布の真中に穴を明け、これを上より通して衣裳とす。正月の十五日には小字中の人々この家に集まり来りてこれを祭る。

 

これはオシラサマも同じことで、オシラサマはオクナイサマとほぼ同じものだと云われています。しかし、名前が違うのにはちゃんと理由があるのが妖怪の常。

オシラサマは、お知らせ様(かつてオシラサマのご神体を使って方角を占う風習が狩人の間で存在したから)だという説があったり、オクナイサマはそのまんま、奥内様ではないか、という説がある。

しかしそれもなんだか疑えばキリなく疑えそうな説でもあるわけで、結局正確な由来は解っていないよう。

 

因みにオシラサマ・オクナイサマは結構厳しい信仰上のルールがある。

・一度信仰し始めたらやめることはできない。少しでも信仰を止めれば祟られる。

・上で引用した一月中旬の祭りを「オシラ遊び」と言い、名前は穏やかだがこれもまたやらないと祟られる。

・食肉もダメ。食べると顔が曲がる(顔が曲がる!?)。

 

馬とオシラサマとの事も遠野物語には記されており、それによると、ある農家の娘が飼っていた馬に恋をし(!)、夫婦になったのだが(!!)、娘の父親が許さず馬を桑の木に吊るして殺してしまった。それを知った娘が、泣きながら死んだ馬の首に抱き付いていたのだが、それにも腹を立てた父親は馬の首を斬り落とした。

すると切られた馬の首に乗って娘は天に昇ってしまい、それがオシラサマと呼ばれるようになったのだとか。

――で、その後、オシラサマは夢に出て、「桑の木で蚕育てるといいよ」と教えてくれて、それが養蚕の始まりなのだとか。

 

なんだかすごくよくわからない話である。

 

さて。

蚕の本場と言えば中国で、日本は江戸時代まで中国から蚕を輸入していた。

となると当然この遠野郷のオシラサマ、オクナイサマも中国の影響を少なからず受けているのは間違いないだろうし、そもそも馬の首に乗って天に上った姫の話は中国の『捜神記』が元である。

また、遠野物語の中で、この『捜神記』に基づくと思われる話をしている老婆は、「魔法を使える」老婆らしく、柳田國男も文中にて「魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止まれる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり」というなんとも不思議なことをさらっと書いている。

さらに続く項にて――この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様かわり、一種邪宗らしき信仰あり。信者に道を伝うることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その作法につきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。

と、その老婆が謎の邪宗を信仰していることを書いている。

なんとも妖しい匂いがぷんぷんしてくる。

 

さらにさらに、オシラサマの祭りでは、「オシラ祭文」というものを読む。

それが実は上の馬と姫の話なのだが、『遠野物語』には記載されていないコトとして、姫は馬が死んだとき、「念仏を唱えて天に昇る」のである。

邪宗。念仏。他言しない作法。

これは一体どのような宗教なのか。修験道、密教、それとももっとマイナーでオリジナルな何か?

 

――どうだろう。

ざっと簡単に上っ面を撫でただけでもオシラサマとオクナイサマからはこれだけのややこしい情報が出てきた。

もっと多くの書物を漁ればどんどん掘り下げられるのだろう。

蚕、馬、邪宗、捜神記、遠野郷。とんでもなく歴史のありそうなビッグキーワードが君に掘られるのを待っている! 僕は寝る!

妖怪が人を魅了する最たる理由が、この「ややこしさ」にあるのではないか、と最近思うようになってきた。

何かに行き着いてスッキリできた事など一度も無い。けど、中毒性がある。

ギターのコードで言うところの、Eマイナーな感じ。