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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

詰まったつまらぬ因果応報の話

『妖怪へぇこいたの手記』

このようなタイトルで書き出した記事がまともな方向に行った試しがありませんが、この直前の記事は「かさねかさねて因果応報」みたいなタイトルで書いた累の記事でして、今さっき起きた悲劇と非常にリンクするものだったので仕方なく神のご意思に従ってこの記事を書いております。これもまた因果かと。

 

累ヶ淵の怪談話は、時代が進むにつれてどんどん形を変え、メッセージ性も大きく変わってゆきました。

それは「因果応報」という考え方が新時代に受け入れられず、変えられてしまったことが大きな原因でしょう。

しかし、現代においても「因果応報」という考え方は非常に強く残っています。

ものすごくよくある例を言えば、「こんだけ頑張ったんだから報われるに違いない」という考え。

これも完全に因果応報にすがった考え方です。

どれだけがんばろうが、報われない人も沢山います。だからと言って、因果応報なんてものはない――と僕は思いません。

まじない的な効果だけでなく、野暮な言い方をすれば「科学的に」も因果応報というのは説明できるんじゃないかと思います。

頑張ってる人を見てきた周りの人々が、なんとかしてやりたいと取り計らってくれる、とか、コネを作ってくれる、とかっていう事が実際ありますからね。

科学的、というのは言い過ぎかもですが、そういう事が実際あるだけで、因果応報がただのまじないとは言えないと思うのです。

(ここで言ってる因果応報は、一般的に使っちゃってる意味での因果応報です。業とか輪廻とかが深く関係してて壮大なのが本当の因果応報ですが、それには触れません)

 

で、この記事を書き始めたきっかけというのは、さっき便所が詰まったからに他なりません。

超合金ビッグベンをしたわけではなく、昨晩、使い切れずに処理に困っていた石鹸を「あれ、これを便器に投げ入れたらいい匂いになるんじゃね? しかもキレイになっちゃったりするんじゃね? 俺って天才じゃね?」

という考えから投げ入れた結果だと思われます。

石鹸の怨念、ここに極まる。

凄惨でした。それはそれは凄惨でした。

修理屋さん呼ぶなんて事は決して考えませんでした。だってお高いんでしょう?

スッポン! ってやるアレも持ってません。

ならばもう待つしかあるまい。

――と、今日という休日をほとんど使って書いていた累の話を書き終えたのです。

これだけ頑張ったし、きっと便所の詰まりも治ってるだろ。

なんてまさしく因果応報に期待してトイレへ向かえばやっぱりそう甘くはない。

神も仏もいやしない。けれどおいらにゃネットがある!

で、「トイレ 詰まった 自力 困った」などの検索ワードを駆使し、「――それでも駄目なら修理を頼みましょう」とご丁寧に修理屋のリンクまで貼ってくれてるサイトを片っ端から無視し、そうか根本が間違ってた、と気付き、「石鹸 成分 溶かし方」と検索ワードを変えた結果、熱湯を流し込む、という大技を知ったのでした。

 

そして今。

「歯本来の輝く白さ」ばりに美しくなった御便器ちゃんが、飲み干したくなるほどに透明で美しい水を湛えて微笑んでいます。

どうして僕はこうも水回りのアクシデントが多いのか。いや、名前にへぇこいたなんて使ってるせいで、尻回りのアクシデントが多いのかも知れません。

因果応報……か?

いいえ、石鹸を投げ入れちゃダメ。それだけの話です。