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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

菅原道真(すがわらのみちざね)はなぜ怨霊なのか?

『月百姿』
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『月百姿』より『月輝如晴雪梅花似照星可憐金鏡転庭上玉房香』
 
崇徳天皇や平将門と並び、怨霊としても有名な菅原道真(すがわらのみちざね)。
今でこそ天満宮に祀られ学業の神様などと敬われ、ありがたがられているのだが、色々あった末にそうなっているということは知っておいて損はないーーというかより心を込めてお参りできるようになると思う。
 
菅原道真は幼い頃から秀才だった。幼くして詩歌を詠み、青年期には弓術に長けるなど、文武両道のお手本のような存在だった。
宇多天皇と藤原氏との間で起きた阿衡事件(あこうじけん。政治的喧嘩みたいなもので、最終的には道真がなだめる形で終結した)により、道真は宇多天皇に気に入られ、一気に要職に就く立場へと大躍進。
その後も順調に出世していったのだが、天皇が醍醐天皇へと変わると、政治思想の違いから露骨に道真への不信感を顕にする者が出てくる。
 
そして事件は起こった!
 
左大臣であった藤原時平が、醍醐天皇へと「道真のヤツ、謀叛する気ですぜ!」と讒言。これにより道真は大宰府へと左遷されてしまう。
※尚、この事件(昌泰の変)は、宇多法皇が道真の娘婿である斉世親王を皇太弟にしようとしたため、「流石にいい加減にしろよ」と怒った反対勢力が企てた陰謀だという説が有力である。
 
道真は京を去る際、家の梅の木に向かって次のような歌を詠んだという。
 
東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
※春の風が吹いたのなら、その匂いを私のいる所まで運んできておくれ、梅の花よ。
主がいないからといって、春を忘れたりしないようにね。
 
――そして左遷先の大宰府にて、道真は身の潔白を祈り続けたまま、その地で生涯を終えた。
そう、道真が生涯の幕を降ろしたその地に、道真を祀る「大宰府天満宮」は建てられたのである。
 
しかし道真はただ死ぬだけの男ではなかった。
ここから道真の怨霊がその猛威を振るうことになる。
 
まず、道真は自らを左遷させようと図った藤原時平の周囲の者をことごとく襲った。
讒言した本人である時平は、30歳の若さで病死。
時平の息子も急死。
さらに道真の左遷が決まった時、「ちょっと待てよ」と文句を言いに来てくれた宇多法皇の行く手を阻んだとされる者は落雷に打たれて即死。
道真左遷に関与していた者の多くが集まって会議をしていた清涼殿に雷直撃、多くの死傷者が出る。
それを目撃してしまった醍醐天皇は病床に伏せり、三か月後に死去――などなど、とにかく道真は雷や呪を駆使して根こそぎ殺しにかかった。
 
朝廷は流石に怯え、これはマズイ! ということで道真の罪をすべて許し、流罪になっていた道真の息子達もみな京へ呼び戻された。
 
 
――さて、実は今さらっと書いた落雷事件が、道真が天満宮と結びつく大きな要因となっている。
古くからあった天神信仰(雷神を祀る信仰。もっと古く遡ると、国つ神に対する天つ神のこと)に、ひょっとしたら雷神なんじゃね? というイメージの付いた道真が合わさって、道真=天神という信仰になった。
しかし知っての通り菅原道真と言えば学問の神様、というイメージの方が強いと思う。その理由は単純で、幼い頃から天才的だった道真、というプラスのイメージだけが後世に濃く残り、怨霊伝説で恐れられた道真はその罪も許されたことなどから次第に薄れていってしまったのだと思う。
 
しかし忘れてはならないのは、怨霊と噂され、雷をも使役すると恐れられたからこそ天神と結びつき天満宮で祀られるようになった、ということ。
 
あらゆる人がそうであるように、道真もまた黒い過去を持っているからこそ、現在のような有り難い学問の神として皆に慕われているのである。
 
最後に余談だが、以前書いたが僕は実家が神社。長男なのに家出して、今は底辺を這いまわりながら妖怪を追いかけるこの有り様。弟よ本当にすまなかった。
……そんなことはいいとして、何を隠そう僕の実家の神社も天満宮。
そして面白いのが、今でも尚、道真の怨霊の名残があるということ。
それは、最も大きなお祭りのある九月末日になると、ほぼ必ず、大雨が降る。実はこれは神社図鑑みたいなのにもちゃっかし載っちゃってるほどガチな現象で、確かに幼い頃の僕の記憶にも雨の中強行してる祭りのイメージが強い。
 
どうやら道真さん、千年以上経った今でも、無実の罪で左遷させられたことを許していないようである。