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妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

月岡芳年『和漢百物語』楠多門丸正行(くすのきたもんまるまさつら)

『和漢百物語』

楠多門丸正行

 

『和漢百物語』より「楠多門丸正行」

楠多門丸正行(くすのきたもんまるまさつら)は、かの南北朝時代の有名武将、楠木正成(くすのきまさしげ)の息子である。

楠木正成は南北朝の闘いで足利尊氏を相手に奮闘した人物だが、後に勝利することになる北朝方に歯向かったことから、当時は悪党とされてしまっていた。

しかし明治になって正成の行動などが改めて研究され、単に悪党としてしまうことは間違いであることが解り、「大楠公」と尊敬の念を込めて呼ばれるようになった。

そしてそんな正成の息子、正行もまた父に負けぬ豪胆な人物であり、これまた後に「小楠公(しょうなんこう)」と呼ばれることなる。

芳年が描いたのは、幼い正行の、既に勇ましかった事を現すエピソード。

 

正行が木馬で遊んでいると、突然妖怪が現れた。

しかし正行は全く動じることなく妖怪を斬りつけ、退治した。

するとその妖怪は正体を現し、その姿は老狸であった、という。

 

ここですこぉし違和感を覚えた方はいないだろうか?

そう、この逸話の状況は、後年に芳年が描いた『新形三十六怪撰』の武田信玄の幼い頃の絵となんとなく被るのだ。あっちも木馬を叩き切っているし。

『和漢百物語』で描いた逸話を、晩年の芳年が意図して混ぜちゃったのかどうかは解らないが、『和漢百物語』と『新形三十六怪撰』の関連性を見る限り、無関係ではなさそうだ。

 

尚、この正行の絵で描かれている妖怪は、モデルが鳥山石燕袋貉であるといわれている。

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 『百器徒然袋』より「袋貉」

 

……マジだった。