読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

大妖怪展で希望と絶望の真珠庵本

『妖怪へぇこいたの手記』

大妖怪展(江戸東京博物館の)行ってきた話

f:id:youkaiwiki:20160721162608j:plain

にん!

はいこんちは。大分更新間隔空いてますが、ともかく妖気が足りんとか言い訳しながらも妖怪好きなのは隠しきれません。

夏は妖怪だとか幽霊だとかが一番盛り上がる時期。なんだか妖怪展みたいなのも色んな所でやってるようで、池袋では水木しげるのなんたらをやってるみたいですし、江戸東京博物館でもやってるようですし――と、日々通勤途中にチラ見してたんですが、ちょとその内容を見て、江戸東京博物館の方はなんとしても行かねばならん、と思いましたわけです。

 

で、土日祝日はディズニーランドばりに混んでるらしい、という情報にビビりつつも、嫌な感じの雨が降る今日、やっと行ってきました。

恋人には「そんなの行くくらいなら佐村河内の映画が見たい」と意味不明な断られ方したので(つかもう話題が古い)、妖怪より佐村河内とかどういうことだよと憤慨しつつも一人コソコソと出かけたわけです。

 

さて。

この大妖怪展、キャッチコピーが「土偶から妖怪ウォッチまで」になってます。

妖怪ウォッチ推しまくりだったらどうしよう……とちょっと不安でしたが、そこはご安心ください。

というか、「妖怪ウォッチまで」の部分に期待していったらそのあまりのオマケっぷりに泣くことになるでしょう。

最後にちょっとコーナーがあって、僕は一分だけ立ち止まって「観賞」してみましたが、何が誰でどこがDOなのか全く分からないので困っちゃったニャン。

 

僕がとにかくこれだけは「行かねばならぬ」と思い立った理由、それは、展示される物がことごとく僕がこのブログでも紹介してきた、思い出一杯夢一杯のモノばかりだからに他ありません。

見れて超嬉しいのが盛りだくさんなのです。

まずは、平太郎さんの大活躍を描いた、『稲生物怪録(いのうもののけろく』

まさかこれを見れる日が来るとは思わなかった笑

このブログでも結構力入れて特集したので、見てみてください。ふざけた内容なのですが、とにかく平太郎さんがすげぇのです。

しかも色んなバージョン? というか似たようなのがあるらしい中で、ブログで紹介したのと同じのが見れたので最高に幸せです。

間近で見ても、やっぱり平太郎さんのとぼけ顔はかわゆかったです。

 

鳥山石燕が大いに参考にしたといわれる、佐脇嵩之の『百怪図巻』、なんとこれもありました。見れたのは一部ですが、今日行った時は髪切り、猫また、野狐の部分が展示されてました。これもすごくうれしい。

 

葛飾北斎の絵も数点あり、皿屋敷のお菊提灯になったお岩さんのもありました。

これも展示内容が後半で変わるらしいです。

 

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』シリーズも展示してありました。

もうこれはネットでも文庫版のちっちゃいやつのでも、穴が開くほど見たシリーズですから、幸せです。

 

歌川国芳、月岡芳年、川鍋暁斎などの版画も結構あって、特に僕は月岡芳年の数点はうれしかったです。

『新形三十六怪撰』もあり、『和漢百物語』もあり。

 

そういえばちょろっとだったけれど、『絵本百物語』も展示されてました。

 

さてさてだらだらと展何が展示されてたか、を書いてきましたが、お気づきでしょうか。

なんとですね、このブログでの力を入れて特集してきた妖怪画集、絵巻のですね、ほぼ全てがこの大妖怪展に出展されてるんですよね。

こんなうれしいことはないでしょう。

行くしかないでしょう。

 

そして!

地味に一番見たかった、百鬼夜行絵巻の真珠庵本!

まさか、まさかこれを見れる日が来るとは!

こんな特集もそういえばやってました。

 

ドキドキする気持ちを抑え、雨の木曜日のくせに展示物が小さいせいか結構混雑してる会場内を進み、真珠庵真珠庵と念仏のように心で唱えながら、申訳程度に展示されてる妖怪ウォッチコーナーを抜けて、さぁさぁどこだメインは、どこだメインは、と歩き続け「出口」が見えて……。

ん?

出口?

いやいやご冗談を。

真珠庵本を見てないよ、僕は。

ねぇ警備員さん、僕は真珠庵本をまだ見ていないのだよ。

来た道を戻り、絵巻がいっぱいあったコーナーへ向かい、真珠庵本のパネルを見つけ、いやだからどこだよ真珠庵本は! とイライラする気持ちを抑えて探していると、目に飛び込んできたのがチラシのコレ。

f:id:youkaiwiki:20160721170845j:plain

ホワァァァァイッ! 

ジャパニーズピィィィポォォォォ!!

 

八月二日から展示だそうです。

重要文化財だもんね。仕方ないよね。

知ってたら今日来なかったんだけどね。

でもたぶん色んなとこに書いてあったんだろうね。

僕が悪いんだよね、うん。

 

 

そんなこんなで若干消沈して帰宅しましたが、それでも、やっぱり、紹介してきた数々の妖怪画が生で見れたのは幸せでした。

妖怪ファンならおなかいっぱいになるのは間違いないのですが、展示物が前半後半で大きく変わるのと、絵巻とかは一部しか見れないことだけはご注意ください。

 

妖気いっぱい貰ったで! ありがとう江戸東京博物館!

悔しいから行けたら八月また行くし。

泥田坊のせい

『妖怪へぇこいたの手記』

田返せ田返せ時間を返せ。

光陰矢の如しとはよく言ったもので、とある方からあまりにもこのブログが更新されないもんだからと「入院してますか?」とメールを頂き、ハッと我に返って見れば二か月ほど放置してしまっていた。

ちょっと仕事でまた偉くなって多忙になったのもあるけれど、それよりもこういう時は便利な妖怪さんに背負っていただくことにしたいので、とにもかくにも全ては泥田坊のせい、なのである。

 

ブログなんてもんは当たり前だけれど習慣的に書き続けていなければ、ふとしたきっかけで全く書かなくなるなんてことが割とある。と思う。僕は。

最後に書いたのがぬっぺっぽうの絵解きで、次は泥田坊にしよう、と思っていたのだが、

f:id:youkaiwiki:20160502220144j:plain

何を隠そう、背後の石に描かれた文字の解読ができないが為だけに、頓挫する日々が続いていた。

そして、こうなってしまったわけで、やはり全ては泥田坊のせいなのだ。

 

さて話は変わるが、ここのところずっと池波正太郎の小説を読み漁っていて、最初はタイトルだけで手に取った短編集きっかけにどんどんハマり、じじいが見てたからって敬遠してた有名時代劇の数々が池波正太郎の作だと初めて知った。

で、連作ものに手を出して、つい最近、通勤時間のみを使って『剣客商売』を全巻読み終えた。

結構な数あったけれど、なるほど誰かが言っていたように、マンガ感覚に近い面白さでガンガン読めてしまった。

剣客商売読んだ後は、とりあえずどこへ行っても、店員さんに「たっぷりとこころづけを」渡したくなる。読めばわかる。

 

次は途中で購入してた他の短編集やらを読んだ後に、じいちゃんが大好きな鬼平犯科帳を読もうと思っている。

 

で、気付いたのだが、江戸時代とか、古き良き日本とか、そんなのがどうやら僕はツボらしいのだ。

妖怪だって考えればモロにソレである。

学生の頃、ほんの少しの期間ではあったが司馬遼太郎にはまったことがあったのも、やはり僕の好みに合致していたからなんだろうと思う。

京極夏彦の作品でも、昭和が舞台の京極堂のシリーズよりも、江戸時代の巷説百物語シリーズの方がやっぱり好きなのも、今更ながら納得なのである。

 

そういえば『剣客商売』に、江戸時代が舞台なだけあってちゃんと「鳥山石燕の百鬼夜行ものが流行っていて――」みたいに書かれていて、嬉しくなった。小雨坊、というサブタイトルの物語もあったし。その辺はもう妖怪好きにはニヤニヤが止まらない。

 

 

 

さて妖怪。

面白いことに、今暮らす環境には妖怪じみた部分があまりにも少ない為か、妖怪について想いをめぐらす時間がめっきり減ってしまった。

多分、これは、本当にあることだと思う。

高層マンションに囲まれた小奇麗な街並みを前に、「ほれそこに垢嘗めが」なんて考えられないのである。

妖怪と自然というのは、セットなんだな、と僕は最近痛感している。

 

帰り道。駅から出て車通りの絶えない国道沿いの道をずれて横に入ると、最短ルートではないのだけれど、一軒の和風の屋敷がある。

某大手企業の本社ビルの真裏で、なんでそんなところにポツンとそんな屋敷があるのか不思議なのだが、僕にはお気に入りのルートになっている。

ほんの少し大通りからずれただけなのに、街灯も極端に少なく、樹が鬱蒼と茂り、コウモリまで飛んでいる。

普通に考えたら非常に怖くて、不気味な細道なのだが、僕はすごく安心した気持ちになってそこを歩ける。

たぶん、そこには妖怪がいるのである。出てきやしねぇけど。

 

僕の担当の2店舗では、なぜか50歳以上の従業員しかいない。上は70歳までいる。

そういう年配の人たちの言い回しや、過去のことを聞くのは楽しい。

最年長のおじいちゃんには、農作業の話や病気の話、女を抱くコツの話、競馬の話など、色んな古風だけども面白い話をいつも聞ける。今でも両親の死を悲しんでいて、初恋の相手への失敗を悔やんでいる。ただのじいちゃんも、そういう話を聞けば聞くほど、同じ人間だと実感できる。そういう話を聞くまでは、記号としての「じいちゃん」としてしか捉えていなかった自分の冷徹さにも気付く。

 

僕は未来より過去が好きなのかもしれない。

未来はこれから来るけれども、過去は絶対にもう体験できないから。

 

むかし北国に翁あり。子孫のためにいささかの田地をかひ置て、寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに、この翁死してよりその子、酒にふけりて農業を事とせず。

はてにはこの田地を他人にうりあたへれば、夜な夜な目の一つあるくろきものいでて、 田をかへせ田をかへせ、とののしりけり。これを泥田坊といふとぞ。